最近、新聞やニュースで、50代からの生き方を模索している記事を沢山見つける。
一番、自分が解っていないのは、自分が伝えられないのは、50代なのかも。
団塊の世代と一くくりにされて
それに抵抗して、「個性」を打ち出そうにも、それすらも団塊になってしまう。
私が女子高生だった頃は、女子高生ブームみたいなのがあって(どんなんだ?)、ベビーブームの年頃の人たちが作ったものを改善して?渋谷の109が流行ったり(あれー、なんか時代が違うかも。記憶は嘘をつく。)ミニスカートも流行っていたり、カラオケが流行ったり、ポケベルが流行ったり。機械による会話を中心として口コミが広がりだしたのも私達の年代だった。
そんななかで、私の周りは個性を維持するためにポケベルに色を塗ったり、当時画期的だったPHSを買ったり、学校にばれないようにピアスをあけて、「個性」「変わっている」ということをとにかく出したがっていた。
#「Only One」がいい!と言われていた周りで、西武デパートの広告が「普通でいい、じゃなくて普通がいいの」
あれは衝撃的な広告でした。
私の上の世代が「ほしいものをあげる」という丸井の広告でビックリしたように、私は西武デパートの広告で本当に驚いた。(同い年の友達は皆わからないといっていたけど。)
あの広告で、広告に興味を持った。
しかし、本当に変わっているといわれたい、その人也をだすならば、流行なんて追っかけちゃいけないのだ。本質的。
ウェブでも「この形が流行です」といって、皆その形に乗り出すけど、その形に乗っている以上、他とは区別がつかないし、区別をつけるのが大変になるし、コストが掛かる。
50代も、コミュニティーの世代と言われながら、コミュニティーの中で仲良しだけでやっているわけでなく、(ここは普通目に止まらないから指摘される事は無いが)お互いが気になりながら、同じ方向を向いている。「変わっている」といわれたいが、誰も変わっていない。みな、同じ。同じ方向を向いている。
一番如実に感じるのが、私に娘の相談をするとき。皆、寛大なふりをして、寛大なことをいう。
本当に贅沢な人は、自分が贅沢である事に気づかないと言うのは先日聞いたお話だが、寛大な人は自分が寛大であることを言わない。寛大であると自らアナウンスすると言う事は、あなたは、娘に対して寛大ではない。
ぼくは、私は他とは違う。それを証明するために、OnlyOneを探す。
50歳台は汽水世代だ。
老後と現役のはざまにいる。
50代のボリュームばかり狙っていたんじゃ楽しくない。
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