上手な女優さんは、その人が誰かも感じさせないほど、その役にはまる。
その役を演じていることがあたりまえになる。
私の大好きな俳優君は
まだあまり演技が上手じゃなくて(かなり上手になったけど)
見るたびに緊張するし(するなって(笑))、「がんばれ!」と言いたくなる。
出演が終わった瞬間に、「よく頑張った!うまくなった!」と思う。
でも、本当にうまい人は
うまいことすらも気づかれない。
某大俳優の舞台を見に行ったときに、それを思った。
最前列の席で見ていたのだが、なんだろうな、その人の感情にあわせて自分も感情移入したり
「演じている」んじゃなくて、本当にその人、気が狂ったのかと思って怖かった。(気が狂う役だった)
先日見た舞台では、大女優さんが喉を壊していた。
前回その女優さんの舞台を見たときは、うまいとか、そういうレベルじゃなく、本当に役になりきっていたのに
喉を壊していたその女優さんは、すごく違和感を感じたし「喉を壊していてもうまいな」と思った。
前ふり長い。思わず感情移入してしまった。(もっと書ける↑)
使いやすいって、「あたりまえ」なんだって、つくづく思う。
そのあたりまえに「使いやすいでしょー」と威張るんじゃなくて
「使えてあたりまえジャン?」という状況を作るのが「ユーザビリティ」の本当の意味じゃないのかな。
見ていて息の詰まるような、使っていて考えなくちゃいけないような仕組みなんて、「使いやすい」とはいえない。
使いやすいとは、使うことを意識させないこと。
肩こりのときに、肩こりが気になる。
で、整体に行くと、肩が気にならないことに驚く。
使いづらさ、というのは、肩こりと一緒。足のむくみと一緒。お腹のヘリと一緒。腰痛とか、二日酔いとか、そういうのが使いづらいというのと同じ事な・の・だ!
使いやすいと言うのは、自分に肩こりがなかったり、足のむくみが・・・・(以下同文)
明日メルマガだしまーす♪
内容は・・・「買いたいのに買えないということは、購買意欲をそいでしまうのだ!」ということについて。
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